養生

春の夕暮れに彷徨い歩いた思い出 気滞と炭酸

ささやかながらも、父の三回忌の法要が無事終わりました。

参席してくれた父方、母方の親戚たちは皆高齢になりました。親戚一同会するのが、ほとんどこのような冠婚葬祭の機会だけというのは寂しいものです…。

そして、法事の席で

「オガミサマを呼ぼう!」

なんて、先だって企画するくらい元気な人もいなくなってしまいました。

オガミサマに亡き人の魂を降ろしてもらうオガミサマとは 秋の彼岸がやってきました。 彼岸 彼の岸(あの世) 此岸 此の岸(この世) この世とあの世の間は、見...

だが、皆それぞれ父の思い出話に花を咲かせており、父が旅立った悲しみがきちんと昇華されているのを感じることができたのは、大きな安堵でした。

十年以上に渡った、父と肺がんの闘い。

三度の肺の手術にも弱音を吐かず、在宅酸素とかも使わず、入院直前まで、周囲が呆気にとられるほど前向きに、がんに打ち勝つつもりで生き抜いてきた父。

長い闘病期間の最後の方は、コロナ禍で、仕事柄のせいもあり、満足に実家にも行けずに、本当に申し訳なかった…と、今でも自責の念に襲われることが度々…。

父が旅立ったのは、満開の桜の花が美しく散る4月初め。

願わくは 花の下にて春死なむ その如月の 望月のころ

西行法師の辞世の句どおりのタイミングで、いちばんいい季節に、何だかずるいと思いました。

 

一連の葬儀や片付けも慌ただしく終わり、婚家に帰る前日の夕方。

頭も、身体も重く、ここ数日の疲労がどっと溢れました。

日没前。冷蔵庫の残り物で夕飯の準備を済ませて、私はあるものを入手したい衝動にかられ、100円硬貨2枚を握りしめて家を出ました。

それは、

炭酸飲料。

実家にオロナミンcはあったが、小さな小瓶では満たされないくらい、せめて500ml、炭酸を欲していたのです。

コンビニは少し距離がある。近所の自販機まで行けば炭酸入手は楽勝だろうと思い、実家で生活していた頃の30年以上前の記憶を頼りに自販機を探し求めて、ふらりと家を出ました。

しかし、辿り着いた自販機はどこも電源が入っておらず、平成初期~中期の姿だけ残していました。

使うことの無かった100円硬貨を握りしめたまま、少しがっかりして帰宅。

すると、母と弟が、私の姿が見えないので、焦り、ざわついている様子が伺えた。葬式が終わったタイミングで、夕暮れに失踪とか、どうかしてしまったのかと思ったらしい…。

違うんだよ、ただ、炭酸が飲みたかったんだよ…と説明。

半ば心配、半ば呆れる母と弟。弟が急遽コンビニまで車を走らせ、炭酸を買ってきてくれました。

夕飯を食べながら、買ってきてくれた炭酸を飲み干して、何とか一息つくことができたのでした…。

後に薬膳を勉強してから、あの時炭酸を強烈に欲していたのは、気滞の影響だったのだろうということが分かりました。

父逝去前後の日々の、どうしようもない疲労、気持ちの落ち込み、気の滞り。

それを炭酸を飲むことによって、発散させることを、詳細を頭で考えるより先に、身体が強く望んだのです…。

あの春の夕暮れの経験から、まずは手軽にスカッと気を発散する手段として、炭酸を常備しています。