結構、日常的な掃除は行き届いている方だと自負している一方、普段目につかない、全く手つかずの世界がすぐそこに存在しているという、恐ろしい現実から目を背けて生活していました。
今年の夏の暑い時期に掃除に夢中になったら熱中症になるから、アクションを起こすのは止めておこう…
など、勝手に言い訳を考えて過ごしていました。
そんな勝手な言い訳の下過ごしていたら、義父が病気で入院したり、それにより介護が必要な義母のケアが困難になったので、施設入所に向けて動かねばならなかったり。
義父母の対応をしつつ、気になったのは長年蓄積された義父母の衣類とか、捨ててもいいような書類とか、書簡とか、写真とかの思い出の品々。
これらの品々、この先私とか夫によって最終処分する時が来たら、時間も労力も過大すぎる…
そこはかとない溜息と、軽い絶望感に襲われました…。
自分がこの先、自分が抱え込んでいる品々を残して片付けができなくなった時、子どもたちに迷惑をかけたくない…。
そんな思いから、回数を分けてですが、この度断捨離に取り掛かったのでした。
ゴミ回収に出して良いものはひたすら自治体のゴミ袋に封入。
地区のリサイクルに出せるものは分別。
良さげな衣類、バッグ、書籍、CD、DVD、引き出しの中に眠っていた近隣じゃ使えない商品券とか、リサイクルショップや金券ショップに持ち込んで処分。
(衣類とかバッグ二束三文だったけど、商品券とかコアなCD、DVDは、思ったより高値で売れたのが良かった!)
大事だけど、本当の特別とは言い難いが、私の生きてきた時間を共存していた品々を処分。
最終的に、新たな空間を作り出すこともできました。
しかし…
毎回の断捨離後の疲れや気だるさは、かなりきつかった。
普段の掃除や、多少重労働ではあるが、窓拭きや網戸洗い、フローリングのワックスがけであれば、普通の疲労レベル。
普段だったら
「掃除してスッキリ。私も気分が良い。疲れたから早く寝よう!」
で済むのだけれど、断捨離の疲労レベルは何とも言い難いものがありました…。
古い物、閉ざされた場所を掃除、下手すれば付喪神レベルの品々を処分。
それにあたっては、換気したり、手を小まめに洗ったり、注意を払いながらの作業。
そんな無我夢中の作業が終わった時点でグッタリ。
その後も夕食の準備~布団に入るまでグッタリ。
気分もグッタリ。
ずっと動き通しだったにも関わらず、心地良い空腹感は無く、かえって胃もたれさえ感じる。
頭痛の症状も出てきたり。
翌日も疲れとか、頭痛の持ち越し。
できる対策として、断捨離の後はお香を焚いて場の浄化、リラックス、早めの入浴、早めの就寝を心がけました…。
断捨離すると、邪気が抜けたり、磁場の変化が身体に作用することがある
と、いろいろなメディアに書いてあって、それだよ!と思いました。
また、思い当たるのが、紫微斗数では
身体健康を見る宮 疾厄宮
と、
自宅とか不動産、家庭を見る宮 田宅宮
が、
三合の関係にあります。
生年四化や、自化が無くても、この三合の関係から、家の環境と身体健康は関係性がある。
断捨離して家の環境が変わると、心身に何らかの影響が及んでもおかしくないということが、この三合の関係から読み取れます。
断捨離によるグッタリは、室内空間のエネルギー変化のスピードに、心身が追い付いていからなのでしょう。
心身がいつまでもグッタリしてたら、次の目標のために動き出すこともできないので、10月の終わりと共に、大がかりな断捨離は、ひとまず終了することにしました。
自分の心身のコンディションと相談しながら、日常的に、ぼちぼち、地道に、細く長く、片づけや整理整頓を継続できるのが一番良いですね…。

