無量光院跡から 高館義経堂 を目指します。
地元の通り 中尊寺通り を 徒歩で移動。
いつも中尊寺に車で行く時この付近に来ると、駐車場のことばかり気になって…
道路一本入った通りにも、昔から存在する平泉の暮らしが存在するなんて、考えることもなく過ごして来ました。
なので、今回の探索はとても良い経験。
世間はお盆の真っ最中で、中尊寺通りも静かに時間が流れている雰囲気でした。
照り付ける太陽の下、マイペースで歩いて高館義経堂の看板に到着。
拝観料を納め、階段を登ります。
少し息が切れる…。
ここが、源義経が最期を迎えた地。
源義経は、誰もが思いつかない戦術を繰り広げる等、優れた武将。
昔話の牛若丸が、実は源義経って知った時は驚きでした。
兄の鎌倉幕府初代将軍 源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼りに平泉に流れ着きました。
藤原秀衡庇護の下、ここ平泉では、僅かでも心からの安息の時間を持つことができたのでしょうか…。
残念ながら藤原秀衡の死後、源頼朝の圧力により、
1189年6月15日(新暦) 31歳でこの地で自害しました…。
悲劇の武将と言われる由縁です。
余談ですが、大河ドラマでは、いろいろな俳優が義経を演じていましたが、タッキーとこ、滝沢秀明の義経が私にとってナンバーワン義経。
美しさと強さの中に、何とも言えぬ悲哀や儚さ、を常に纏っていました…。
供養塔には、ひっそりと花が手向けられていました。
義経堂から後ろを振り返ると、松尾芭蕉
夏草や 兵どもが 夢の跡
の句碑があります。
眼下に流れる北上川や、遠くに見える束稲山。
義経や芭蕉も見たであろう同じ景色に、いろいろな思いを馳せ、思いを巡らせました…。
松尾芭蕉の句碑には 中国の有名な漢詩 春望の一節
国破れて山河あり 城春にして青草見たり(※春望は草木深し)
が引用されています。
春望の無常観、芭蕉の夏草やの無常観。
無常観っていうのは、いつの時代も変わらない…。
松尾芭蕉が奥の細道行脚で平泉を訪れたのが、1689年6月29日(新暦)。
奇しくも、義経が亡くなってから、ちょうど500年後。
そこから更に約300年を経て、その場所に自分もいる…。
果てしない、決して追いついたり、隣に並ぶことのできない時の流れの中で起こった出来事を、身近に感じたりしていることが、ものすごく不思議で尊い…。
貴重な小さな旅の時間でした。
高館義経堂まで来ると、中尊寺は案外近い。
勢いで線路を渡り、中尊寺へ。
(この東北本線の線路を北上すると、銀河ステーションにつながっているような気がしました…)
8月の金色堂を拝みました…。
中尊寺参りを終えて、平泉道の駅で腹ごしらえして、小さな旅は終了。
平泉道の駅の店内には、銀貨鉄道の夜をモチーフにした、岩手のご当地ちいかわのキーホルダーがありました。
迷うことなく、ちいかわ、ハチワレ、うさぎのキーホルダーを購入。
ちいかわとハチワレは鉄道員。
ペンを持ったうさぎは…宮沢賢治なのね…!かわいらしい!
ちょっとした未知の世界を垣間見ることができた、この夏の平泉の旅でした。
好奇心と、歩くことのできる健康や筋力を保ち、また新たな平泉の一面を再び、いつの日か探しに行きたいと思います。

