夏に大腿骨の手術をした母の退院に合わせて帰省。
術前よりも歩行状態がかなり良くなった様子に安堵しました。
実家のことも落ち着いたので、少しだけ外出。
秋といえば宮沢賢治 というインスピレーションが、フッと心に湧きました。
しかし、盛岡や花巻まで行くほどの元気は無かったので、近場というか、穴場というかって感じで
岩手県一関市にある
に向かいました。
ミュージアムの近くには、賢治が晩年、技師として仕事をした
旧東北砕石工場
があります。

ミュージアムの前?にはトロッコの通るところがあって、そしてそのすぐ隣は大船渡線の線路があったり…夢と現実が混在しているみたい。

ミュージアムは、さほど大きくはありませんが、文学に親しむことができたり、賢治の好きな鉱物の展示があったり…



たくさんの鉱物たちが、不思議な色や光を放っていました。
賢治が現代のミネラルショーに行ったら、さぞかし夢中で戦利品を探すんじゃないか?と想像。

岩手県内、他にも宮沢賢治ゆかりの場所があるけれど、このミュージアムも、存分に賢治の心象世界につながることのできる場所です。
話は変わりますが、この春映画
を見ました。
主人公は宮沢賢治の父 政次郎。
賢治とお父さんは、宗教とか、家業(質屋)で意見が合わなかったという記述を目にしたことがあります。
賢治に対して、お父さんはとても厳格だったのだろう…という想像を抱いていたのですが、ちょっと違いました。
賢治が幼少の頃、赤痢にかかって入院の際は愛情たっぷりに賢治の世話をして、自分も赤痢にかかったり、賢治が好まなかった質屋から商売替えしたり、賢治の死後、賢治の意向を汲み改宗したり…。

それが、賢治の紫微斗数の命盤に、色濃く出ています。
父母宮にある天同A。賢治のお父さん。
天同は福星とも言われていて、それに生年Aがついたら、なかなか聡明で、人柄の良いお父さんだったと思います。
一方、奴僕宮には天機Bがあります。
物語を一般大衆に向けて書いたり、芸術を発表したり、農業などの技術を伝授したり、賢治にとって一般大衆は絶対の存在だったことが読み取れますが、
宮位転換で見ると、奴僕宮は 父母宮の官禄宮。
つまり、親の仕事を見ることができる宮。
生年Bがついた男の星(天機)と言うことは、お父さんはかなりのやり手。
実際、賢治のお父さんは株式投資に強かったり、
「おれが仏教さえ知らなければ、三井、三菱程度の財産は一代で築けたものを」
と述べたとも言われています。
紫微斗数は本人だけじゃなく、六親についても分かるところが面白いんです。
賢治本人の事象としては、福徳宮にその心象世界の秘密が潜んでいるような気がします(信仰や、早逝した妹のこととか)。
それは後々、ゆっくり考察したいと思います。
家に辿り着いた後、ミュージアムのすぐ側にある賢治も乗ったであろう大船渡線の線路を思い出し、この線路が銀河鉄道の路線に、どこかでつながっていたら面白いだろうに…と、壮大な想像の世界に浸ったのでした。