終戦記念日 第二次世界大戦と祖父
2022年8月15日。77回目の終戦記念日が訪れました。
実家には20代半ばに撮ったと思われる父方の祖父の写真があります。
それより先の年代の写真はありません。
祖父は出征後、家はおろか、日本に戻って来ることはありませんでした。
祖父は1945年4月、日本の彼方、フィリピンで亡くなりました。たったの28歳で。
一方、父がこの世に生を受けたのが1945年1月。因みに父は第一子。
28歳の若者が戦争で命を落とした。ましてや生後間もない我が子を遺して。そのことだけでもいたたまれない気持ちになります(まるでカムカムエブリバディ 安子編ですね)。
祖父は父の出生を見届けて、戦地に赴いたのだろうか?
それとも、親子の対面を果たすこと無く、死に別れたのか?
当時のことは父だって赤ん坊で分かる訳無いし、分かっているかもしれない親戚縁者だって、高齢になり次々お亡くなりになっている現状。分かる者は誰もいません。
どうしようもできない、分かったところで何もできないことだけど、このままでは何だかやるせないと、孫の私は思いました。
そして
祖父はどんな人だったのだろう?
どんな趣味があった?
どんな食べ物が好きだった?
どんな所に行きたかった?
父が生まれてどう思った?
妻と子を残して戦争に行くのは嫌だったでしょう?
聞きたいこと、知りたいこと、聞きたいことが沢山あっても、知る術はありませんでした。
欽天四化紫微斗数で自分の命盤を出して分かった祖父について
欽天四化紫微斗数について学び始めて自分の命盤を出すと、私の福徳宮には「太陽 生年B」が存在することを発見しました。
福徳宮は先祖の祖蔭や信仰心を表す宮。
太陽は男の星。
生年Bの象意は「専門技術」「覇気」「業(カルマ)」など。
そして生年Bの人は「辛苦の人」という意味もあります。
(こんな写真も発見しました。いったいどこで、何をしているところなのでしょう…)
私は確信しました。
福徳宮にある太陽生年Bは、祖父だと。
孫である私の命盤に存在してくれて、嬉しく思いました。
太陽生年Bという星から、祖父はどんな感じだったのか少しだけ想像がつきました。
欽天四化紫微斗数は先祖と子孫の、時代を超えたつながりも教えてくれました。
実際に会ったことは無くとも、私の命盤に祖父はしっかりと存在。
いつもそこで子孫を見守っていてくれています。