昨日は夏至でした。
冬至に向かう大切なターニングポイントの夏至に「鹿島神宮」を参詣しました。
鹿島神宮の場所
鹿島神宮はレイラインの始まり
に位置すると言われています。そのレイラインの先には「東京スカイツリー」「皇居」「富士山」など、日本を代表する多くのパワースポットが存在しています。
立派な楼門
楼門があり、日本三大楼門の一つとされています。(三大楼門は鹿島神宮:茨城県鹿嶋市、筥崎宮(はこざきぐう):福岡県福岡市、阿蘇神社:熊本県阿蘇市)
「水戸黄門」でおなじみの水戸光圀公の父 初代水戸藩主で徳川家康の十一男
徳川頼房が奉納したそうです。
そして、楼門の奥に見えるのは…
茅の輪(ちのわ)です。
夏越の大祓
この季節、日本全国の多くの神社に茅の輪が設置されています。ここ鹿島神宮にも設置されていました。
茅の輪は6月1日から設置されているそうです。
茅の輪とは「茅(かや)」を編んで作られています。茅には悪霊を取り除く力があると、古来より信じられていました。
説明に従って茅の輪をくぐりました。
全国の神社では6月と12月の晦日に「大祓式」が執り行われます。
6月は夏を乗り越えることから「夏越の大祓」
12月は「年越しの大祓」と言われています。
それぞれ一年の前半と後半を振り返り、その間の穢れや災い、厄を落として身を清め、次の半年に向けてスタートするという意味を持ちます。
人形を記入。
名前、年齢を記入した人形で体をなで、マスク越しに息を3回吹きかけ、自分の穢れや厄を移して、専用の箱に入れました。
初穂料は「お気持ちで」との案内。箱に初穂料を納めました。
拝殿参詣
拝殿を参詣。
平日でしたが、絶え間なく参詣される方が訪れていました。
広い境内
境内を散策。
一言で表すと 広い!
境内は東京ドーム15個分の広さだそうです。
空気が清々しい。
途中親子三代と思われるグループを見かけました。
おばあちゃんが歩くのを、後方から支援するお孫さんたち。微笑ましい光景です。
話は逸れますが、いくつになっても、行きたい時に行きたい場所に出かける為には健康寿命の維持が重要だと思います。
鹿たちが過ごす場所
鹿園があります。鹿たちはゆっくり、穏やかに過ごしていました。
鹿島と言えば「鹿島アントラーズ」。チーム名の「アントラー」とは英語で「鹿の枝角」を意味します。
境内には目と心を惹かれるものが数多くあります。
御手洗の池
水が澄み切っており、美しい水鏡になっています。
ここには言い伝えがあり、大人が入っても、子どもが入っても、水位はそれぞれの胸の高さを超えないと言われています。
豊富な水が、滾々と湧き出ていました。
漏斗があり、水を汲んで持ち帰ることができます。
奥宮(おくのみや)
現在「令和の大改修」中。
武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)の荒魂が祀られています。
荒魂(あらみたま)は和魂(にぎみたま)に対する言葉で、神の荒々しく強い部分とのこと。
令和の大改修は和8年(2026)に斎行される十二年に一度の大祭
「鹿島神宮式年大祭御船祭」
に向けて行われているそうです。改修後が楽しみです。
要石
何よりも神気を感じ、興味を惹かれました。
「地震を起こす鯰(なまず)の頭を抑えている」という言い伝えのある霊石です。
要石は奥宮から先、森の中を分け入ったところに位置する感じです。
要石が祀られている手前には、武甕槌大神が力強く大鯰!を踏みしめている石碑があります。
そして、ついに要石に辿り着きました。
小林一茶の句があります。
「大地震に びくともせぬや 松の花」
文化14年にお詣りした時詠んだそうです。
文化14年って西暦だと1817年。
当時も大地震があったのでしょうか?
これが要石!
要石は「地面の上にちょこんと頭を出している石」くらいにしか見えません。
対して香取神宮にも要石がありますが、そちらは突出しています。
(参考までに香取神宮の要石 下の写真です)
要石の周囲や凹んでいるところにお賽銭がありますが、それと対比しても、そんなに大きいものではないように見えますが…実はその正体は「とてつもなく計り知れないもの」らしいです。
「徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた」という伝説があるそうです。
余談ですが、水戸光圀公は、日本で初めて餃子や牛乳、チーズを食べた人物と言われています。
よほど好奇心や探求心が強かったのでしょう。
話は戻ります。
この要石が、古来から強い力で日本一帯を守っているのだと思います。「どうか強い地震が起きませんように」と祈りました。
御朱印
御朱印をいただきました。
本宮と奥宮の御朱印があります。
祈祷殿で頂けます。
鹿島神宮参詣。
何度参詣してもその都度、新たな発見があると思います。