オガミサマとは
秋の彼岸がやってきました。
彼岸 彼の岸(あの世)
此岸 此の岸(この世)
この世とあの世の間は、見えない空間で隔てられています。
「彼の岸に渡った者と会えるはずも無いが、できれば言葉だけでも聞いてみたい」
そんな思いを繋ぐ役目を担うのが「オガミサマ」。
オガミサマとは、恐山のイタコのような存在。
「シャーマン」と理解しても良いと思います。
オガミサマは宮城県北、岩手県南周辺に分布。
亡くなった方の魂を降ろし、自身を通じて亡き人からのメッセージを遺された人に伝えるという、不思議な存在です。
祖母の死後、オガミサマを呼んだ
私の母方の祖母(宮城県北在住)が亡くなった時「オガミサマ」を呼びました。
私が中学2年生の時の話です。
母方のきょうだいたちでいろいろ決めたのでしょうけれど、誰が発案し、どういうルートで、どこのオガミサマを呼んだか、料金はどれくらいだったとかは分かりません。
まだ中学生だったのでそこら辺のことを大人たちに聞いておくなんて、気の利いたことは思いつきませんでした。
祖母の死
祖母は脳血管障害による約6年間の闘病の末、亡くなりました。
祖母と祖父の二人暮らしで、普段は祖父が祖母の世話をしながら過ごしていました。
そんな高齢者の2人暮らしを母は常に気にかけていて、月1~2回は日曜日となると、母は私と弟を連れて祖父母の様子を見に行っていました。
母のきょうだい達もそれぞれ折を見ては、祖父母の様子を伺いに行っていました。
そんな約40年前の5月も終わりそうなある日、突然私の母の「虫の知らせ」が発動。
母は時々、そんなセンサーが働くのです。
母は数日前に様子を見に行ったばかりでしたが、その日は何かを察したとのこと。
急遽仕事を休んで祖母を見に行くと…祖母の様子が普段と違っていたそうです。
即時に救急車要請、近隣の総合病院に救急搬送されました
残念ながらその翌日、母のきょうだい達に見守られながら祖母は息を引き取りました…。
オガミサマが来た
祖母が亡くなり皆悲しみに暮れていました。
しかしオガミサマを呼ぶことになると、なぜか皆、悲しみの中ではあるけれど、少しワクワクしている雰囲気が感じられました。
オガミサマの口から祖母のどんな言葉が聞けるか楽しみだったのではないかと思います。
オガミサマは小柄な普通の60から70代くらいの女性でした。
黒い着物?を着ていた?半袈裟もかけていた?祭事が始まる前に白い法被を着物の上に羽織っていました。
母のきょうだい・いとこ達・親戚一同が固唾を吞みながらオガミサマの一挙手一投足に注目していました。
緊張感の中、祭壇の前に座ったオガミサマが数珠を鳴らし、お経?みたいなのを唱えると…
どうやら祖母が降りてきたようでした。
オガミサマを経由してのメッセージ
祖父、そして母のきょうだい、その家族の順番で祖母からオガミサマを通じてメッセージが伝えらました。
今となっては誰にどんなメッセージが伝えられたか詳しい記憶は定かではありません。
私に伝えられたことは「何でも頑張る孫。これからも勉強を頑張るように」みたいな内容でした。
確かに当時は中学校生活を10代ならではのいろいろな出来事につまずきながらも頑張っていました。
メッセージをありがたく受け取りました。
そして祖母は、なぜが娘である私の母よりも私の父のことをかなり心配していたようでした。
怪我や病気に注意せよと…。
ちなみに若い頃から父は精彩溢れる見た目とは裏腹に、幾多の怪我や病気に見舞われていました。
それは未だに続いています。
祖母が父を案じていたのが良く分かりました。
母や母のきょうだい達は必死にメモをとっていました。そのメモはその後どうしたのだろうか?あればまた見てみたいが、もう存在しないでしょう…。
オガミサマから降ろされたメッセージは、祖母の目線からの温かいものでした。
ただ、母の妹には千手観音にロウソクをあげて拝んでくれという不思議なメッセージが伝えられました。
その後、メッセージに従い近隣の千手観音にお参りしたそうです。
声なき人の代弁者
祖母が亡くなった時、誰も反対したり、異を唱えることもなく、みんな自然にオガミサマを受け入れていました。
祖母は長期間の闘病生活の影響から複雑な話題や会話は難しい状態でした。
そんな状態だった祖母の心中・言葉を些細な内容でもオガミサマを通じて聞くことができ、みんな安堵とありがたい気持ちで満ち足りていたと思います。
ちなみに祖父が亡くなった時はオガミサマは呼びませんでした。
祖父は亡くなるまで認知症もなく、みんなと話しもできていたし、自分の好きなことを楽しんでいたから、オガミサマから祖父の言葉を伝えてもらわなくても十分だったのかな?と今になって思います。
信仰や亡き人に心を寄せる
オガミサマの一連の儀式を間近で見ることができたのは、後にも先にも、祖母が亡くなった時1回だけ。
残念ながらオガミサマが家に来て、一連の儀式を行ってくれるような時代ではなくなりました。
そのような現状の中、この先どんなに科学やAIが発達しても人間が信仰に寄せる気持ちに変わりはありません。
そして何よりも、亡き人はずっと心に存在しています。
オガミサマに伺ったらもちろんだし、伺わなくても亡き人はこう言って、いつでも空から見ていてくれているでしょう…
「おれのごどは心配しねえで、あんだも気ぃ付けでがんばらいんよ(宮城の方言:私のことは心配しないで、あなたも気を付けてがんばりなさいよ)」