人を送った後の喪失感
父の葬式後、初めての帰省。
今回の帰省で父の四十九日の法要をささやかながらも執り行うことができ、ほっと一息つけました。
父が亡くなる少し前からの地に足の付かない感じの日々、それを経てからの一連の宗教儀礼。
それらに表立って対応したのは両親と一緒に暮らす弟。
私は遠くから思いを馳せたり、亡くなる前後の少しの間しか実働的な手伝いはできませんでした。
しかし、たったそれだけでも心身共に疲れ果てました。
どんなに予期された、どんなに穏やかな死でも、遺された者の心には、大変な重圧がのしかかることをこれでもかという程感じました。
心身の癒し 風の沢ミュージアム
前日に四十九日の法要を終え嫁ぎ先に帰る前、故郷の新鮮な氣をチャージしたくて訪れたのが
折しも
が開催されていました。
風の沢ミュージアム敷地内の古民家がギャラリーとなり、古来からの地元栗原市の文化、自然、人々の暮らしが芸術作品という形になって表現されていました。
とりわけて心惹かれたのが、「伊豆沼とともに生きる人々」をテーマとしたコーナー。
伊豆沼・内沼は白鳥やガンなどの渡り鳥の飛来地。
夏には極楽浄土の如き蓮の花が目を楽しませてくれる。
淡水魚や水生昆虫などの生命の宝庫でもある(現在は外来魚が問題になっているらしいが)。
そんな伊豆沼の生態系が躍動感そのままに、一つの作品の中に封じ込められていました。
「私が知ってる元気な伊豆沼!」
幼い頃に見た・聞いた伊豆沼の風景。
沢山の思い出や郷愁がこみ上げました。
芸術的な側面、民俗学的な側面、あらゆる観点から楽しめる作品がこの他にも展示されてありました。
入場料800円で8月20日まで開催されています。
小満の空気を感じる
作品を鑑賞後、ミュージアム内の裏山に登りました。
裏山からの眺め。
目下には眩しい万緑が広がっていました。
青空と木々の緑が一年のうちで最も美しい時期。
折しも今日は二十四節気の 小満 です。
万物しだいに長じて天地に満ち始める
という意味から小満と言われているそうです。
父が亡くなった頃は桜が咲いていたな…。
自然と時間のうつろひを感じました。
無理に元気になろうとしても、何も定まってはいない。
どうせ空回りしてまた疲れるだけだから、今は元気にならなくても良いと思いました。
美しい風景、素敵な作品は、ただただ、私の心身に癒しや慈愛をもたらしてくれました。
今日は、それだけで十分でした。
小満の日の癒しや慈愛をチャージ。
新幹線に乗って嫁ぎ先へターン。
みちのくの町並みや、緑の風景を眺めながら、普段の日常へと戻るのでした…。