小さな旅

塩釜不思議旅その1 陸奥国一之宮塩釜神社参詣

先日帰省後、実家での用事をきりの良い所まで終えました。

たまには少し遠くに足を伸ばしてみようということになり、最近少し神社好きになった気がする弟に塩釜神社参詣を提案、出かけることになりました。

幼い頃にも両親に「しおがまさま(宮城の人の多くは塩釜神社のことをしおがまさまと呼びます)に行こう」と初詣や良い季節の頃にドライブしながら何度も連れて行かれましたが、当時は車酔いが酷かったので、楽しんだ記憶は残念ながら殆どありません。

神社参詣が落ち着いてできるようになって、改めての参詣になりました。

 

 

神社から松島湾を望む

 

塩釜の浦の松風霞むなり八十島かけて春や立つらむ 源実朝

今も昔も変わらない、みちのくに訪れた春と松島湾の美しい風景を神社から見渡すことができます。

 

志波彦神社参詣

 

塩釜神社のお隣 志波彦(しわひこ)神社 をまずは参詣。

志波神社ホームページによると『延喜式』の神名帳に記載されている2861社の中でもわずか225社しかない「名神大社」と言う格別の崇敬を朝廷より受けていた神社とのこと。

格式高い神社ですが、穏やかな雰囲気を感じます。

志波彦とは不思議な名前です。

宮城県、岩手県に志波(紫波)と付く地名がありますが、ここ志波神社と若干関係があるようです。

志波彦神社を参詣後、お隣の塩釜神社に向かいました。

塩釜神社参詣

独特の愛敬を感じる狛犬様に出迎えられ、いよいよ参詣です。

左右宮拝殿参詣

「右宮」「左宮」の文字が見えます。

鹽竈神社の御祭神は別宮に主祭神たる塩土老翁神・左宮に武甕槌神(タケミカヅチノカミ)・右宮に経津主神(フツヌシノカミ)が祀られています。

武甕槌神?経津主神?って…?

武甕槌神は茨城県鹿島神宮の御祭神。

経津主神は千葉県香取神宮の御祭神。

この両神々は国譲り神話で活躍。

また、鹿島神宮と香取神宮は地震の鯰を封じ込める「要石」でつながっていると言われています。

そのような神々がなぜ宮城の地に?

その謎は塩釜神社のホームページに記載されていました。

武甕槌神(茨城県鹿島神宮主祭神)・経津主神(千葉県香取神宮主祭神)は共に高天の原随一の武の神として国譲りに登場し、国土平定の業をなした神です。社伝によれば、東北地方を平定する役目を担った鹿島・香取の神を道案内されたのが鹽土老翁神の神であり、一説には神々は海路を亘り、七ヶ浜町花渕浜(現在の鼻節神社付近)からこの地に上陸されたと言われ、又鹽土老翁神はシャチに乗って海路を渡ってきたと言う伝えもあります。

やがて鹿島・香取の神は役目を果たし元の宮へ戻りましたが、鹽土老翁神は塩釜の地に残り、人々に製塩法を教えたとされています。塩釜の地名の起こりともなっております。(塩釜神社ホームページより)

以前参詣した神社の神々と塩釜神社での再会、そして古来から神々は独自のネットワークでつながっていたことを目の当たりにしたのは大きな驚きでした。

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別宮参詣

別宮の御祭神は「鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)」。

日本神話「海幸彦山幸彦」にも登場します。

今一度、海幸彦山幸彦のお話に触れると「あの神様ね!」とピンとくると思われます。

その鹽土老翁神が祀られている別宮の前に、塩釜神社ならではの光景と思われるものがありました。

それは…献魚台です。

参詣当日そこに魚の姿は残念ながらありませんでしたが…この献魚台にいつ、どんな漁師さんが、どんな魚を献上されるのだろう?と考えただけでワクワクします。

鹽土老翁神の信仰

参詣した日は大安でした。

境内には生まれて間もない赤ちゃんを抱っこしたご家族が多数訪れていました。

安産祈願→出産を経てのお宮参りなのかも…と推測。

どのご家族からも、幸せそうな笑顔を垣間見ることができました。

鹽土老翁神は塩の神様

塩は私たちの日常生活には欠かせない調味料。

また、塩は人間の血液1リットルには9グラム溶けていると言われており、人間の身体組成上、必要不可欠な物質です。

そして、潮の満ち引きは人間の生死にも関係があるとされています。

鹽土老翁神は生命全般にも深く関わる、不思議な神様なのだと思います

御朱印を頂き、境内散策

 

志波彦神社、塩釜神社の御朱印を恭しくいただきました。

「陸奥国一之宮」の文字に重みを感じます。

文化燈籠

1809年、伊達周宗公により奉納されたものとのこと。

3Dプリンターも無い時代、空想上の動物たちが見事に立体になっているのは圧巻。

ずっと見ていたい衝動にかられます。

文治燈籠

藤原秀衡の三男が1187年に寄進したと言われる文治燈籠。

「奥の細道」にも登場するとのこと。歴史のつながりを感じます。

燈籠中央には日と月?陰陽を表している?

境内には好奇心を引かれるものが数多く存在します…

海と不思議を感じる塩釜の旅は、まだまだ続くのでした…。