2022年は 板谷波山先生 生誕150年 記念の年
聖陶と呼ばれる、陶芸家 板谷波山。
かの有名な日本画家 横山大観と並び、茨城県名誉県民第一号。
明治5年(1872)生まれで、今年で生誕150年だそうです。
茨城県や新聞社の後援もあり、
の話題を見聞きする機会が多く、とても気になっていました。
また、同じ茨城県出身の故三浦春馬君が生前「板谷波山の作品は光をとじこめているかのよう…」ということを述べられていたそうなので、そこも気になっていました。
5月の茨城県筑西市に舞い降りて、しもだて美術館に足を運びました。
しもだて美術館へ
美術館はJR水戸線下館駅北口から北に直進し、ほどなく、しもだて地域交流センターアルテリオの3階にあります。
スケルトンな感じ。
The space is surrounded by the blue sky and sunlight.
(その空間は、青空と日射しに包まれる)
作品が放つ エターナルな輝き
展覧会のポスターを見ただけでも、その美しさはもちろん、柔らかさ、優しさ、細密さが伝わって来ます。
展覧会の会場内…
そこは、思った以上の内容でした!
会場内は写真撮影禁止なので、残念ながらその内容をここで伝えることはできません。
言葉で表わせるのは…作品の中に植物や動物が、呼吸をしている、生命を宿しているかのように瑞々しく存在している。
更に、100年以上前に造られた作品とは思えない輝きを放っている。
eternal(エターナル)という言葉が降りてきました。
先述の三浦春馬君の言葉、すごく伝わりました。
鑑賞しながら、素人の自分でも気づきました。ほのかに半透明な白いヴェールに包まれた作品から伝わる格別な美しさ…。
この半透明な白いヴェールは「葆光釉(ほこうゆう)」という独自の釉薬(ゆうやく)によるものだそうです。
女性陶芸家がヒロインの朝ドラ「スカーレット」で釉薬という言葉を初めて知りました。スカーレットでも釉薬の調合の大変さが描かれていたと思います。
作品に対する厳しい姿勢
美しい作品が遺ってある一方、納得のいかない作品は破壊。もったいない!と周囲はさぞかし悔やんだことでしょう。
会場内には粉々に破壊した作品も展示してありました。
芸術に対して一切の妥協を許さない厳しさから、格別の作品だけが形として現存するのですね。
とびきりの郷土愛
何で本名は 板谷嘉七 なのに、波山と名乗っているのだろう?
その波山の語源はふるさとの山「筑波山」からとったそうです。
故郷をこよなく愛していた板谷波山。
帰省の際は、小山から水戸線に乗り換えたのでしょう。
その時の下館までの道中の胸の高鳴り、ワクワクが想像できます。
私も故郷大好きなので、遠く離れた地から故郷を思う気持ちがとても分かります。
旧下館市の戦没者の遺族には観音像や香炉、高齢者にはお祝いに鳩杖を私費で作成して送り続けたそうです。
1963年、91歳で逝去。
東京のお墓の他、市内のお寺に分骨、埋葬されているそうです。
亡くなってからは愛する生まれた地で、いろいろな表情の筑波山を思う存分眺めているのでしょう。
羽黒神社参詣
しもだて美術館を後にして、美術館から西に向かい坂道を登ると「羽黒神社」がありました。
一見小規模な神社ですが、地元の人に長く愛されている神社という空気が伝わってきます。
子どもの日に合わせてなのでしょう、色鮮やかな小さな鯉のぼりたちが元気に泳いでいました。
板谷波山の生涯を描いた「HAZAN」にも、この神社が登場します。
板谷波山が実家に帰省中、つかの間の神社参詣。地元のお祭りの風景を、何かの信念と共に目に焼き付けるようなシーンでした。
時を隔てて板谷波山と共通の風景を認識していることに、とても不思議な感覚を覚えました。
置き書きでしたが、御朱印をいただきました。
御朱印の種類が多く、どれにしようか迷いましたが、鯉のぼりの季節なので、まずは鯉のぼり。
もう一つは「七羽黒」のネーミングのものをいただきました。
青龍、白虎、朱雀、玄武の四神が描かれていて、その不思議な感じに魅かれるものがありました。
後で調べると、近隣に羽黒神社は7か所あるとのこと。
隠れた不思議もありそうです。それはまた改めてゆっくり考察したいと思います。
芸術・文化に触れることができた5月の休日でした。